「添加的散漫」という興味深い概念について
はてなのトップページに「添加的散漫」という見慣れないが興味を引くワードが踊っていたので記事を読んでみた。
読んでみたところ、この単語の出所は下の公式サイトのようだ。
以下は上の記事からの引用である
従って、初期のデザインではより多くのカードに「チームメイト」という単語を入れていた。自分とそのチームメイトを助けるような全体エンチャントも作った。その中には、デベロップへと渡ったものもあったはずだ。しかし、プレイテストする人数が増えるにつれて、「添加的散漫」とでも言うべき問題が明らかになったのだ。
説明のために、こんなバニラ・クリーチャーを見てみよう(デザインなので、クリエイティブはまだ見ていない)
〈ステロイドの熊〉
クリーチャー ― 熊
3/4これを周りに見せたら、多分かなりの高評価を得るだろう。このコストでこのパワー/タフネスを持つカードは過去に1枚しか存在せず(『ポータル』の《植物の精霊》だ)、しかも森を生け贄に捧げる必要があった。さて、このカードをこう調整してみよう。
〈ステロイドの変熊〉
クリーチャー ― 熊
あなたがアーティファクトを10個以上コントロールしているなら、[カード名]はトランプルを得る。
3/4これを周りに見せたら、おそらく高評価はぐっと少なくなるに違いない。アーティファクト10個という条件に目を取られて、最終的にこれを入れられるようなデッキは存在しないという結論に到るだろう。
しかし、ここで考えてほしいのは、その追加の行がないカードには興奮したということだ。〈ステロイドの変熊〉は、カードパワーの面から見て〈ステロイドの熊〉の「完全上位互換」なのだ。条件付きでさらに強化される。最低でももとのカードと同じ強さで、非常に稀な場合に、さらに強化されるだけなのだ。
ここで重要なのは、プレイヤーはカードを見たときに感じたことでカードを評価するということだ。カードに「チームメイト」という単語を入れると、プレイヤーがそのカードを評価するときに自分がチームメイトのいるフォーマットをプレイするかどうかで判断してしまうことになるのだ。
添加的散漫を簡単に説明すると
Aに対してBが完全な上位互換であっても、+αの部分が微妙過ぎると、Bの評価は下がり、むしろAの方が評価が高くなるという非合理な判断が発生すると言っているわけである。
添加的散漫を焼肉定食で説明すると
焼肉定食で言えば、
A屋の定食は肉、サラダ、ごはんで1000円
B屋の定食は肉、サラダ、ごはん、デザートで1000円
だとして、
肉、サラダ、ごはんの質が同程度ならほぼデザートの質がどうであろうとB屋の評価が高くなるのが合理的な判断である。
しかし、デザートが萎びたリンゴだったところ、A屋の方が高い評価がついてしまった…と言った感じだろう。
添加的散漫の定義
「添加的散漫」は言うまでもなく「添加的」と「散漫」が組み合わさった言葉だ。
「添加的」…つまり要素が付け加わったことにより、
「散漫」...集中力が欠けてしまい合理的な判断を損なってしまうこと、
が添加的散漫の定義となるだろう。
添加的散漫を言い換えると?
これにぴったり当てはまる言葉はなかなか見当たらない。
日本語で一番近いと思われるのは「蛇足」だが、蛇足は余計なものがついていることを示すだけで、その余計なものがマイナスな場合も含むし、「合理的な判断が損なわれる」とも言い難い。
しかし、この現象自体は既存の2つの心理学的概念を用いることで説明できると考えられる。
①認知的不協和理論
Aという認識とBという認識があり、その2つの認識が本人にとって不協和(矛盾、ストレス)となっている場合、認識自体が変更され、不合理な認識が発生してしまうことを説明できる心理的な概念である。
カードゲームの世界では「リソース(資源)はフルに使ってこそ勝利に繋がる」という考え方がある。これは最善手を切らなければ勝てないという当たり前の意味の他に、「フルに使ってこそ強いカードになるように設計されているはずだ」という、カード製作者への信頼が存在している。
その結果、
A:リソースはフルに使ってこそ勝利に繋がるが、このカードをフルに使うことはほとんど不可能
B:フルに使わなくてもそこそこ強い
という本来の認識がゆがめられ、Bの認識が削除され
C:フルに使えないのだから弱いはずだ
という認識に変更されることにより、このような過小評価が発生すると説明できる。
②非注意性盲目
いわゆる「ひっかけ(ミスディレクション)」である。人の脳のリソースは有限であるため、何かに集中していると、他の何かに対する集中力が欠如する。
添加された効果に注目するあまり、添加効果を発揮していないときの性能に対する意識が散漫になり、過小評価が発生すると説明できる。
添加的散漫は「認知的不協和」と「非注意性盲目」により説明できる
添加的散漫は「認知的不協和」によっておこる認識の歪みと、「非注意性盲目」によって引き起こされる注意力の低下により引き起こされる現象であると説明できる。
添加的散漫は投資の世界でも起こりうるか?
例えば同じような事業をしていて、同じくらいの資源を用いて、同じような利益を出している企業であれば、株価も同じような額になるであろう。
しかし、仮に片方の会社にだけ「遊休資産(事業に使っていない資産)」という+αがあった場合どうなるだろうか?
例えば総資産150憶、負債50憶、利益10憶の企業Aと、総資産200憶、負債50憶、利益10憶の企業Bがあれば、ROEはA社が10%B社は約6.7%となり、収益力はA社のほうが高いこととなる。
だが、B社の資産のうち50億円が遊休資産だった場合、(固定資産税などを考えなければ)B社はA社の上位互換である。
しかし、添加的散漫の効果によりROEを重視する投資家はB社を過小評価する可能性がある。
もちろんPRBを重視する投資家はB社をより評価するのでどちらが株価が上になるかは不明であるが、もし「添加的散漫による歪みだ」と思えるものを見つけられたのなら、絶好の投資チャンスかもしれない。