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本を読んで感じたことを書く意味

今週のお題「読書感想文」

 

はてなブログを編集するときに毎回目に入る「今週のお題

折角なので書く練習としてやってみようと思う。

 

とは言え、読書感想文か…と思ってしまう。

中学生くらいまでは宿題としてやっていたように思うけれど、何について書いたかはさっぱり覚えていない。

私は本を読んだら必ずその本についてノートを取ることにしているが、それは本の内容を要約したり、気に入ったフレーズを書き留めておく程度のものであり、どちらかといえば備忘録に近いものだ。

ただ、自分の主観ーーそのときに感じたことも書いておくのは案外重要なことかもしれないと、最近思い始めてきた。

 

例えばついさっき水平思考の本を読んだ。

 

 

最近ウミガメのスープというゲームに興味があり、そのウミガメのスープは元々水平思考を鍛えるためのものだということで、手に取ってみたのだ。

 

水平思考ーーラテラル・シンキングとは「論理的段階を踏むより、問題に対する新しい見方を示す思考法」ということなのだが、個人的には眉唾に思えてしょうがない。

 

例えばフォードが工場での生産現場において「人が車のところまで動くのではなく、車が従業員のところまで動く」という画期的アイディアにより「流れ作業」を生み出したことや、マイケル・カレンが「お客がカウンターにやってきて店員が商品を持ってくる」という当時の小売業の常識を捨てて「お客が商品を選び、店員は会計だけ行う」という現在の「スーパーマーケット」に繋がる新しい発想を生み出せたことなどを水平思考の力だとしているのだが、個人的にはこれは別に水平思考でもなんでもなくて、「より上手に論理的思考ができただけ」に思えてしまうのだ。

 

フォードのケースの場合は「どうすればより少ない労力で車を生産できるか」という話から論理的に辿っていけるし、マイケル・カレンのケースも「従業員の負担を減らす」という話から論理的に辿っていけると思うのだ。

 

つまるところポール・スローンは論理的思考を軽視しているように思えて仕方ない。

なので、私はこの本にあまりいい印象を持てなかった。

 

ただ、水平思考のテクニック自体は面白いと思ったものもある。

前提を疑う。

宇宙人になったつもりで考えてみる。

他の分野の発想を持ち込む…等々。

 

気に入ったフレーズも2つほどあった

P56

 ルールは破られるためにある。スポーツでは審判にペナルティを与えられるかもしれないが、ビジネスにおいては、審判は市場だ。

 イノベーションによって価値をもたらした反則者には、ペナルティではなく報酬が与えられるのだ。

 

なかなかおもしろい言い回しである。

まぁホリエモンのようにビジネスにおいて司法に裁かれたものもいるが。

 

p74

水平思考ができる人は、アイデアを調べるには試してみるのが一番だと思っている。

 彼らは行動を起こそうとする。

 85%の準備ができた段階で動くほうが、99%の準備が整い、遅きに失するより賢明だと信じているのだ。

 

 これはフェルミ推定(「日本にいるカラスの数は何羽か?」と言った、捉えどころのない問題に仮説や推測でもって挑んでいく思考法)にも繋がるものだと思う。

 精度はとても大切であるが、精度を求めるあまりやらないのは機会の損失に他ならない。

 

と、ここで水平思考の本についての話は終わりして本題に帰ろう。

 

こういう風に要約だけではなく自分の感じたことを書けば、後々読み返したとき「あと時は気に入らなかったけど、今となって振り返ってみると納得できる」ということもありうると思う。

 

そして「気に入らなかった理由」をきちんと書いておけば、「なぜその変化が起きたのか」を説明できる。

 

自らの変化を説明できるということは、自己管理やセルフコーチングにおいてとても重要なことなのではないか…などと思い、最近は本を読んだら自分の「読書感想」を付しておくようにしているのだ。

 

そう考えると小学校中学校でやった「読書感想文」というなんとも言い難い宿題も、感じたことを言葉にするという、言語化の貴重な訓練の場だったのかもしれない。