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ウミガメのスープはミステリ足りうるのか?

 ウミガメのスープはまず不可思議な状況があり、それに対して回答者が「YES/NO」で答えられる質問をして真相を突き詰めるという、しりとりや山手線ゲームのような「トークゲーム」の一種である。
 水平思考を鍛えるものとしてポールスローンが紹介したことにより、「水平思考パズル」なんて呼ばれることもある。
 これに推理小説に似た面白さがあるのではないかというのが、今回の記事の趣旨である。

 

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ある男が、とある海の見えるレストランで「ウミガメのスープ」を注文しました。
しかし、彼はその「ウミガメのスープ」を一口飲んだところで止め、シェフを呼びました。
「すみません。これは本当にウミガメのスープですか?」
「はい・・・ ウミガメのスープに間違いございません。」
男は勘定を済ませ、帰宅した後、自殺をしました。
何故でしょう?

 

 このゲームの名前にもなっている、もっともメジャーな問題である。

 

 

 

 答えは、

 

 

 

 男がかって船上で遭難して飢餓状態にあったとき、仲間から「ウミガメのスープだ」と渡されたスープを飲んで生き永らえた。
 しかし、そのスープの味がレストランで出たスープの味と全く違うことから、遭難したときに食べた「ウミガメのスープ」はウミガメではなく既に死んだ仲間(息子の場合もある)の肉を使ったスープだと悟り、絶望して死んだのである。

 

 実は私はこの問題と答えがあまり好きではない。いくつか疑問が残るしスッキリしない。

 一番の疑問なのは「スープ」であることだ。
 船上で真水を確保することは一般的に難しく、わざわざ水分が蒸発してしまう煮込み料理を作るのは合理性に欠けているように思えてしまう。

 だからと言って海水を使ったのではまともに食べられる味には絶対にならない。
 更に言えば、ウミガメは何種類もいるし、同じウミガメでも部位によって味わいは変わってくる。また同じ種類のウミガメだったとしても生息地によって食べている餌が異なり、風味が変わってくるということも考えられるだろう。食性が味に反映されることはよく知られている。
 しかもスープは味付けするものである。コンソメ風味なのかトマト風味なのか、ベースとするものによって全く別の味になる。
 また、レストランであれば細かい処理もしていて、雑味やえぐみなどを取り除いているだろうが、船上でそのような処理をするのは難しいだろう。
 諸所の条件を勘案した時、男がレストランで食べた「ウミガメのスープ」が船の上で食べた「ウミガメのスープ」と全く味が違ったからと言って、別の動物を使ったスープだと確信できるとは考えにくいと思うのだ。
 しかも男は「一口飲んだところ」で手を止めている。
 これが「アカウミガメのソテー」とかであればもう少し納得できるのだが……。

 

 しかも「これしかない」という回答でもない。
 例えばこの問の解答としてこんな答えもありではないだろうか。

 

男は逃亡中の凶悪犯罪者で、共犯者から国外に逃亡する手立てを用意して貰っていた。
あるレストランで「すみません。これは本当にウミガメのスープですか?」と尋ねることが符牒となり、脱出ルートへ案内されるという。
しかし、実際に伝えてみると普通の反応しか返ってこなかったので、共犯者から見捨てられたのだと知り、絶望して自殺した…とか、

 

男は娘を誘拐されて、誘拐犯に「娘を返してほしければ、とあるレストランでウミガメのスープを頼め」と命令された。
男は言われた通りウミガメのスープを頼んだが、以前他のレストランで食べたウミガメのスープの味とは全く違った。
シェフを呼んで本当にウミガメのスープか尋ねたところ、そのシェフは過去に男が虐めていた相手だった。
ウミガメのスープというのは浦島太郎(亀が子供たちに虐められている描写がある)の暗喩だったのだ。
男は娘が殺されスープにされたことを悟り、自殺した…とか

 

考えれば色々と解答を用意することはできる。

 

1.展開に疑問が残る
2.他に解答といえるものがある

 

 という2点で私はこの「ウミガメのスープ」の問題があまり好きではないのだが、この私の評価は実は的外れである。
 なぜなら、ウミガメのスープは問題そのものから直接的に答えを導き出すものではなく、「YES/NO」で答えられる質問を通して推理していくゲームだからだ。
 解答が一つの定めらないのは当然であり、回答に多少難点があったとしても質問をしていく過程で答えにたどり着けるなら特に問題はないのだ。

 つまり、私はウミガメのスープを「推理小説」として読んでしまっているから、この問題が好きではないのである。
 そして私がウミガメのスープを「推理小説」として読んでしまうのは、たった5行程度の問題文と解答文だけで「推理小説」の面白さを体現できているのではないか、と思えるような問題もあるからだ。

 これは私がウミガメのスープにどっぷり嵌るきっかけになった問題である。
 本来の遊び方でヒントを出していくので、答えを知らない人は一緒に考えてみて欲しい。

 

ある女が、自分自身に宛てて手紙を書いていました。
その手紙は簡素な便箋を茶封筒に入れただけの、とってもシンプルな手紙。
この日の内容はその日見た映画の感想でした。
彼女は次の日も、またその次の日にも自分に手紙を出しました。
こうして手紙をだすのにはある理由があるのです。
その理由とはなんでしょうか?

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質問タイム

女は記憶に関する何らかの障害を持っていますか?

 いいえ

 

女が手紙を出すのは女の趣味と何か関係はありますか?

 いいえ

 

女は自分の利益のために手紙を出していましたか?

 (少し考えて)はい

 

犯罪は関係ありますか?

 いいえ

 

女は何かの実験、あるいは試験を行っていましたか?

 いいえ

 

女は子供ですか?

 いいえ

 

では大人ですか?

 はい

 

女は一人で住んでいますか?
 
 はい

 

女が手紙を出した宛先は女自身の家ですか?

 はい

 

女は毎日家に帰っていますか?

 いいえ

 

女は旅に出ていますか?

 広い意味では、はい

 

女は帰省中ですか?

 いいえ

 

女は出張中ですか?

 はい

 

手紙を出したのは女の仕事と関係ありますか?

 どちらともいえない

 

仕事のために手紙を出していますか?

 いいえ

 

んー、わからないなぁ…

 そうね…では、切り口を変えてみたらどうかな

 

女は、その、本当に毎日、一年中手紙を出していますか?

 いいえ

 

んんっ、女は特定の期間にだけ手紙を出していますか?

 はい

 

その期間は100日以上?

 (少し考えて)いいえ

 

50日以上?

 (少し考えて)どちらとも言えない

 

…その期間は何かのイベントや行事が関係しますか?

 いいえ

 

では季節が関係しますか?

 はい

 

それは夏ですか?

 いいえ

 

秋?

 いいえ

 

冬?

 はい

 

ヒントはここまで。

見事解答にたどり着けただろうか?


 

 

 

答え

その女は全国を飛び回る凄腕の営業員でした。なので普段は各地のホテルなどで過ごしていました。しかし、まとまった休みが取れると、山奥にある自宅に帰ります。
ところが、冬になると、家の周りの道が雪で埋まってしまい、家にたどり着くのが困難になってしまうのです。
そこで、彼女は必ず家に帰る前に自分の家に手紙を送るのです。こうして手紙を郵送することで、雪道に対応した郵便自動車が家までの道をならしてくれるので、女は楽に家にたどり着くことができるのです。


 私はこの解答を見た時、推理小説で騙されたときと同質の面白さを感じた。

 私が雪国育ちなのもあるが、雪の上を通ることの大変さはよく知っている。
数十センチを超える雪が積もってしまうと、膝のあたりまですっぽりと埋まってしまい、抜け出すのすら困難になることもある。
 毎日郵便配達がなされていれば、自宅のポストまでは確実に轍があるわけですから、帰省はずいぶんと楽になるだろう。
 どう考えても実現可能であるし、合理的判断と言える。

 展開に何の疑問も残らない。

 

「これしかない」という答えであるかについては、若干疑問の余地が残る。
 例えば、


 消印に引き受けた郵便局の名前が載ることを利用して、遠隔地にいることを後に誰かに証明する必要があった。とか、

 配達員が凄くイケメンなので、彼の姿を見るために毎日はがきを出している。とか、

 飼い犬のポチが家の庭で放置されているが、郵便員さんは配達の度ポチに餌をやってくれる。とか、


 色々考えられるだろう。
 しかし、最もスマートなのはやはり、雪道を慣らすためという解答な気がするのだ。

 実際考えてみると、多くの推理小説でも「それしか無理」という解答が用意されていることは意外と稀だ。
 多少無理をしたり、他から何かを引っ張ってきたりすれば、「それ以外の解答」も見つかるものだ。
 それでも読者が気持ちよく騙されたと感じられるのは、その答えが「最もスマートな解答」だからだと言えるだろう。

 名探偵と相対するからには犯人も凡人ではいけない。犯人は名探偵の頭脳をフル回転させるに値する知的なトリックを用いなければならないのだ。

 そしてこのウミガメのトリックには、推理小説におけるトリックと同等の知的さを感じられる。だらこそ、同種の面白さを感じることができるのだろう。

 

 もちろん推理小説の面白さはトリックが解ける瞬間だけではない。探偵のキャラクター性や助手役、犯人役との関係性。伏線の巧妙さとその回収の鮮やかさなど、多岐に及ぶのだが、「推理小説」の核はやはりトリックが解ける瞬間にあり、その瞬間の面白さをこのウミガメは体現できているように私には思える。

 

ウミガメのスープ推理小説と同質の面白さを持てる可能性がある

 

このように結論付けて、今回の記事を終わりにしたいと思う。
今後各種ウミガメのスープのトリックと推理小説のトリック分類と照らし合わせたり、ウミガメのスープの作り方の考察などをしていきたいと思っているので、宜しければそちらの記事でもお付き合いいただければ幸いである。

 

「切り取り&スケッチ」の記事を書くための下調べをしてみようと思う②

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下調べ編第二回である。前回は↓

lastrapid.hatenablog.com考察等は後ほどやる予定であるが、やはり検索上位にきているのは「専門サイト」が多いようだ。

では、切り取り&スケッチ検索上位7位~10位の記事を調べていく。


www.microsoft.com7

7番目はWindowsの公式サイトだ。

システムの必要要件とダウンロードリンクがある程度で使い方についての説明はない。


fanfantime.com8番目はパソコンさんと初心者さんのお部屋というサイトさんだ。

目次が細かく分かれていて、知りたい操作にたどり着きやすい。

また直方体以外の切り取りやコメント機能などを使った加工をしており、他のサイト以上にこのアプリの使い方を「提案」できているように感じた。

またキーボードショートカットでの起動法が載っていないなど、初心者さん向けに情報を絞っている感じがした。


www.ka-net.org

9番目はショートカットの作成方法だけが載っているサイトだった。


faq.nec-lavie.jp

10番目はNEC LAVIE公式サイトだった。ここは特に特筆するようなことはないだろうか。必要最低限のことが説明された標準的な記事という感じた。


これらのサイトを元に次回は考察検証をしていく

 

 

「添加的散漫」という興味深い概念について

はてなのトップページに「添加的散漫」という見慣れないが興味を引くワードが踊っていたので記事を読んでみた。

omamesensei2.hatenadiary.jp

読んでみたところ、この単語の出所は下の公式サイトのようだ。

mtg-jp.com

以下は上の記事からの引用である

 従って、初期のデザインではより多くのカードに「チームメイト」という単語を入れていた。自分とそのチームメイトを助けるような全体エンチャントも作った。その中には、デベロップへと渡ったものもあったはずだ。しかし、プレイテストする人数が増えるにつれて、「添加的散漫」とでも言うべき問題が明らかになったのだ。

 説明のために、こんなバニラ・クリーチャーを見てみよう(デザインなので、クリエイティブはまだ見ていない)

ステロイドの熊〉
{1}{G}
クリーチャー ― 熊
3/4

 これを周りに見せたら、多分かなりの高評価を得るだろう。このコストでこのパワー/タフネスを持つカードは過去に1枚しか存在せず(『ポータル』の《植物の精霊》だ)、しかも森を生け贄に捧げる必要があった。さて、このカードをこう調整してみよう。

ステロイド変熊
{1}{G}
クリーチャー ― 熊
あなたがアーティファクトを10個以上コントロールしているなら、[カード名]はトランプルを得る。
3/4

 これを周りに見せたら、おそらく高評価はぐっと少なくなるに違いない。アーティファクト10個という条件に目を取られて、最終的にこれを入れられるようなデッキは存在しないという結論に到るだろう。

 しかし、ここで考えてほしいのは、その追加の行がないカードには興奮したということだ。〈ステロイド変熊〉は、カードパワーの面から見て〈ステロイドの熊〉の「完全上位互換」なのだ。条件付きでさらに強化される。最低でももとのカードと同じ強さで、非常に稀な場合に、さらに強化されるだけなのだ。

 ここで重要なのは、プレイヤーはカードを見たときに感じたことでカードを評価するということだ。カードに「チームメイト」という単語を入れると、プレイヤーがそのカードを評価するときに自分がチームメイトのいるフォーマットをプレイするかどうかで判断してしまうことになるのだ。

 

添加的散漫を簡単に説明すると

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Aに対してBが完全な上位互換であっても、+αの部分が微妙過ぎると、Bの評価は下がり、むしろAの方が評価が高くなるという非合理な判断が発生すると言っているわけである。

 

添加的散漫を焼肉定食で説明すると

焼肉定食で言えば、

A屋の定食は肉、サラダ、ごはんで1000円

B屋の定食は肉、サラダ、ごはん、デザートで1000円

 だとして、

肉、サラダ、ごはんの質が同程度ならほぼデザートの質がどうであろうとB屋の評価が高くなるのが合理的な判断である。

しかし、デザートが萎びたリンゴだったところ、A屋の方が高い評価がついてしまった…と言った感じだろう。

 

 添加的散漫の定義

「添加的散漫」は言うまでもなく「添加的」と「散漫」が組み合わさった言葉だ。

「添加的」…つまり要素が付け加わったことにより、

「散漫」...集中力が欠けてしまい合理的な判断を損なってしまうこと、

が添加的散漫の定義となるだろう。

 

添加的散漫を言い換えると?

これにぴったり当てはまる言葉はなかなか見当たらない。

日本語で一番近いと思われるのは「蛇足」だが、蛇足は余計なものがついていることを示すだけで、その余計なものがマイナスな場合も含むし、「合理的な判断が損なわれる」とも言い難い。

しかし、この現象自体は既存の2つの心理学的概念を用いることで説明できると考えられる。

 

①認知的不協和理論

Aという認識とBという認識があり、その2つの認識が本人にとって不協和(矛盾、ストレス)となっている場合、認識自体が変更され、不合理な認識が発生してしまうことを説明できる心理的な概念である。

カードゲームの世界では「リソース(資源)はフルに使ってこそ勝利に繋がる」という考え方がある。これは最善手を切らなければ勝てないという当たり前の意味の他に、「フルに使ってこそ強いカードになるように設計されているはずだ」という、カード製作者への信頼が存在している。

その結果、

A:リソースはフルに使ってこそ勝利に繋がるが、このカードをフルに使うことはほとんど不可能

B:フルに使わなくてもそこそこ強い

という本来の認識がゆがめられ、Bの認識が削除され

C:フルに使えないのだから弱いはずだ

という認識に変更されることにより、このような過小評価が発生すると説明できる。

 

②非注意性盲目

いわゆる「ひっかけ(ミスディレクション)」である。人の脳のリソースは有限であるため、何かに集中していると、他の何かに対する集中力が欠如する。

添加された効果に注目するあまり、添加効果を発揮していないときの性能に対する意識が散漫になり、過小評価が発生すると説明できる。 

 

添加的散漫は「認知的不協和」と「非注意性盲目」により説明できる

 添加的散漫は「認知的不協和」によっておこる認識の歪みと、「非注意性盲目」によって引き起こされる注意力の低下により引き起こされる現象であると説明できる。

 

 

添加的散漫は投資の世界でも起こりうるか?

例えば同じような事業をしていて、同じくらいの資源を用いて、同じような利益を出している企業であれば、株価も同じような額になるであろう。

しかし、仮に片方の会社にだけ「遊休資産(事業に使っていない資産)」という+αがあった場合どうなるだろうか?

例えば総資産150憶、負債50憶、利益10憶の企業Aと、総資産200憶、負債50憶、利益10憶の企業Bがあれば、ROEはA社が10%B社は約6.7%となり、収益力はA社のほうが高いこととなる。

だが、B社の資産のうち50億円が遊休資産だった場合、(固定資産税などを考えなければ)B社はA社の上位互換である。

しかし、添加的散漫の効果によりROEを重視する投資家はB社を過小評価する可能性がある。

 

もちろんPRBを重視する投資家はB社をより評価するのでどちらが株価が上になるかは不明であるが、もし「添加的散漫による歪みだ」と思えるものを見つけられたのなら、絶好の投資チャンスかもしれない。

 

 

質の高いブログ記事とはどういうものだろうか:目的がHow to(どうやってやるか)の場合

質の高いブログ記事というのはどういうものだろうか。

あえて検索等を行わずに、自分の考える「質の高いブログの書き方」を考えてみる

 

目的を明確にする

ブログ記事と言っても様々なものがある。

まず題材に多様性がある。モノや本などを扱うブログもあれば、政治や経済を扱うブログもあるし、単純にその日の出来事を扱うこともある。

そして題材が同じであったとしても――例えば政治についての記事であるとしても、政治についてわかりやすく解説するブログもあれば、特定の政権を応援や批判するためのブログもあるし、単純に政治に対して感じていることを発信するブログもある。

同じ「政治」という題材でも記事によって目的は様々だ。

ここで重要なのは書き手が記事の目的をしっかり認識しており、その目的達成のためにブログが書かれいてることだ。

ふんわりとしたブログでは読者にふんわりとした印象しかもってもらえない。

 

その目的に合った構成を考える:目的が「How to(どうやってやるか)」の場合

 

情報は簡潔かつ丁寧に

例えば、目的が「はてなブログで文字数をカウントしたい人にやり方を教えたい」なら↓の画像を貼れば済む。

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サイトのボリュームを気にするならテキストエディタのカウント機能を使う方法などを併記することもあるだろうが、はてなブログのユーザーのみをターゲットにする場合、それは蛇足に近いのではないかと思う。

「かんたん文字数カウント」などのプラグインを利用して編集画面以外からも文字数チェックできるようにする方法は書き加えていいだろう。有効な選択肢であれば多いほど記事の質は高まると思われる。

 

HOW TO記事において重要なのは、読んだ人が実際にやれるようになるかどうかだ。そのために失敗しやすい点を注意項目として表示しておくという配慮や、画像を豊富に利用してわかりやすく伝える努力が重要になってくるだろう。

 

ものによっては鮮度が命

ネット上の情報やPCに関する情報を扱う場合には、情報の鮮度も重要になるだろう。WindowsにしてもWord、Excelといったアプリケーションにしてもバージョンによってできることはそこまで変わらないが、レイアウトはかなり頻繁に変更されている。最新のものに対応できなくなった時点で、新しい記事に作り直すことが重要であると考えられる。

(古い記事も削除せずに新しい記事へ誘導リンクを貼ったうえで残しておけば、古いバージョンを使っているユーザーの助けになるだろう)

その意味で、How to記事を書く場合は、書いた項目が使えなくなる条件(ソフトの更新など)を事前に把握しておいて、リスト化しておくのが良いかもしれない

 

逆にDIYなどの情報であれば更新はほぼ必要ないだろう。

 

より視覚に訴える情報を

また、画像だけではなく動画(アニメーション)を併用するという手もある。

文字情報<画像情報<動画情報という順に、直感的なわかりやすさは増していくため、多少面倒でも文字情報以外を用いた方がよいだろう。

 

SEOを考えるならたくさんのHow toに対応できる記事を

個人的にはシンプルisベストだと思っているので、1つのやり方が示しているサイトの方が好みではあるが、沢山のHow toに答えているサイトの方が当然、沢山の人にとって需要のある記事となる。その結果「検索結果上位」に表示されやすくなるとも考えられる。

とはいえ、記事にまとめるHow toの関連性には気を配るべきだろう。関連性の低いものを集めたのでは取っ散らかった印章を与えてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見える化と可視化と言語化

見える化

トヨタにおける生産管理が元ネタ。

そのため管理会計的な目的(PDCAサイクル等)と切り離せない

→Checkの質を上げるのが見える化とも言える

 

可視化

見えないものや見えにくいものを見える状態にすること

見える化と違い管理会計の概念ではないため幅広い意味で使われる

お天気ニュースでよくある、全国の降水量を赤色の濃淡で表現する図表なども可視化の一例

 

言語化

言語以外の情報や感覚的なものを言語情報に落とし込むこと。または言語情報を再構築して言語情報に再変換すること。

こちらも特定の分野に依存する概念ではないため幅広い意味で使われる

言語化するメリット

メリットは言語化する目的でもある。

つまりメリットがわかればどのように言語化するべきかも見えてくる。

 

(今回は「テニスのサーブ」を例に考えてみる)

 

メリット1:再現性を得る

言葉にすることにより、同じ行動を再現できるようになる。

サーブでうまくいったときについて、ボールの上げ方、ラケットの振り方、ラケットの当てる位置などを言葉にしておくことにより、再現できるようにする。また、再現するためのヒントを得る。

 

メリット2:考察することができる

サーブがうまくいったときとうまくいかなかったとき、それぞれを言語化しているなら、その違いを分析し、差異を生み出す差異を分析することができる。

またトッププレイヤーのサーブと自分のサーブをそれぞれ言語化することにより、自分のサーブに足りないものが見えてくる。

 

メリット3:共有できる

言葉にすることにより誰かに伝えることができる

また直接プレーを見ていない人にアドバイスをしてもらうことも可能となる

 

メリット4:省みることができる

例えばサーブの失敗が続いたときの心境や状況などのついて言葉にしてみることにより、新たな気づきを得られる可能性があり、より対象を正確に認識できる

 

メリット5:忘れにくい

言葉にしておくことで、年月が経っても忘れにくい

 

メリット6:理解が深まる

自分の言葉に落とし込むことにより、対象についてより深いレベルで理解できる

ここでいう理解とは、それについて知っているだけではなく、適用、応用ができ、またそれを好きなときに好きなように引用できることを指す。

 

 

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