小説冒頭を考える:乙一「暗いところで待ち合わせ」
小説の冒頭というのは、読者を物語世界へ連れ込めるかどうかを決める重要な分水嶺です。そのため、作家が一番熱を入れる部分です。その「冒頭」について個別作品を取り上げ云々してみようというのが、今回の記事の趣旨です。
今回取り上げるのは乙一の「暗いところで待ち合わせ」です。
著作権の問題でここに直接掲載することはできませんが、読書メーターというサイトで冒頭は試し読みできるので、興味を持った方は是非読んでみて下さい。
https://bookmeter.com/books/580403
検討対象とするのは2ページ目(表示では5ページ目)の終盤、<父だけ残していくような罪悪感があった>までの約1,000文字です。
物語はヒロインの3年前の話からはじまります。彼女が視力を失うまでの流れ、視力を失うことになった原因、徐々に薄暗くなっていく世界、父への申し訳なさなどが平易な文章で書かれています。
今回は、この冒頭で素晴らしいと感じた3点について語ってみました。
①沢山の「皮肉」が詰め込まれている
青信号を渡っていたのに車にはねられたという皮肉
車にはねられたが何もけがをしなかったという皮肉
何もけがをしなかったが、失明したという皮肉
失明することに対し彼女はどこか他人事のように感じているという皮肉
唯一の不安である父についても、すぐ死んでしまい解消するという皮肉
人間は何事も思うがまま進んでほしいと思うものです。
しかし、そんな人の思いを嘲るように皮肉な出来事は襲い掛かります。
理不尽に巻き込まれた人間だからこそ、この先世界とどう対面していくのか、或いはそんな可哀そうなヒロインをヒーローがどう救っていくのかが、気になってしまうのです。
②視力低下の情景描写の見事さ
ヒロインはまず病院が薄暗いことに気づきますが、それが普通のことなのか、弱っている蛍光灯を取り換えていないのかわかりません。つまりこの時点では自分の視力の異常に全く気付いておらず、病院側が原因で薄暗いのだと思っています。
しかし、「子供連れの女性が普通に雑誌を読んでいる姿」を見て自分の目がおかしくなっているのだと気づきます。
このワンクッションにこそ描写の神髄があると思います。
視力が下がったとだけ書くのではなく、気づくまでの一連の流れを描写することにより、読者に情景を想像させるとともに、ヒロインの感情の流れまで追体験させてくれます。
乙一の文体が平易でも心にすっと入ってくるのは、このような「必要な描写を必要なだけ描く」ことがしっかりできているからだと思います。
居間の窓から駅のホームを見ているシーンの描写も同様に素晴らしいです。こちらは後々伏線としても活きてくるのですが、こういう伏線の忍ばせ方は他の作家の方でも普通にやっているので、描写の精度と比べれば取り上げるほどのことではないかもしれません。
③空っぽだが、好感を持てる人物設定
ヒロインのみちるは視力を失うことに対してどこか他人事のように感じています。心配しているのは父の食事の世話などができなくなることくらいで、自分の生活や人生について、くよくよ悩んだりはしません。だからと言って超前向き人間というわけでもありません。目が見えなくなってもそこまで落ち込んでいないことから、将来の夢や欲望などもほとんどないのでしょう。また、一人で旅行したことがないことについて「それが一般的かどうかわからない」と書かれているあたり、周囲の目をあまり気にしないタイプなのも察することができます。
みちるは「空っぽの器」だと言えます。
これは創作物では人気のある設定です。空っぽだからこそ素直に色々なものを受け入れ学んでいく。またヒーローから大きな影響を受けやすい。物語を引っ張っていく力のある設定です。
その一方で、みちるは好感を持てる人物として描かれています。父子家庭ながらグレることもなく、父の食事などのせわをするような「良い子」です。
そんな「空っぽだけど良い子」が皮肉な現実に直面したのだから……続きを読みたくなるのも道理なのです。
「暗いところで待ち合わせ」の冒頭には必要なものがすべて詰まっている
暗いところで待ち合わせの冒頭部分はそこまで派手なものではありません。簡単に言ってしまえば「ヒロインは3年前失明しました」と書かれているだけです。しかし乙一はたった1,000文字の中で読者に視力低下を追体験させ、ヒロインが好感を持てる人物だと紹介し、そのヒロインがどんなに皮肉な状況に陥っているかを語ることにより、物語世界へ誘ってくるのです。
表紙はちょっと不気味ですが、ホラー要素はほぼないので安心して読んで下さい。とても心温まるお話です。
配当狙いの投資は「もしもの備え」が大切:安全な高配当利回り投資とは?
最近流行りの「配当狙い」の投資には弱点が
最近配当狙いの投資が流行っています。定期預金にほとんど利息がつかないなか、三菱UFJや住友商事といった一流企業でも配当利回り*1が5%前後もあるとなれば、人気が出るのも当然のことなのかもしれません。
このような「配当(インカムゲイン)狙い」の投資は「売買差益(キャピタルゲイン)」狙いの投資よりディフェンシブな投資だと言うことができます。年間5%程度ですが、確実にお金が入ってくるのを目的としているからです。
しかし、ディフェンシブな投資だからこそ弱点があり、その弱点を克服するために絶対にやらなければならないことがあります。それが「分散投資」です。
分散投資が必要な理由。
①無配・減配リスクの存在
②頑張っても無配リスクは回避できない
③分散投資によってリスクを軽減できる
①無配・減配リスクの存在
企業がなぜ株主に配当できるかというと利益があるからです。タコ足配当のような稀有な例を別にして、企業は利益の何%程度を配当に出すか決めていて、その割合に基づいて配当額を決めます。
つまり利益が減れば配当も自ずと減りますし、赤字が続けば無配になるのが普通であす。
利益が減ってくれば当然株価も下がってくる可能性が高く、元本を回収することも難しくなります。
逆に配当さえ下がっていなければ、仮に株価が下がっても毎年の貰える金額に変化は起きなません。
つまり「配当狙い」投資の最大の敵は「無配・減配リスク」だと言えます。
②頑張っても「無配・減配リスク」は回避できない
記憶に新しい東北の震災で原発事故を起こした東京電力の株価は1/10以下に下がり、無配となりました。東京電力は株価が安定しており、高配当なことから「最も安定した投資対象」の1つとして数えられており、古参の投資家にも人気のある銘柄でしたが、現在は見る影もありません。
また、眼鏡の弐萬圓堂のように東北に本部を置いていたため機能不全に陥ってまともに営業できなくなった企業もありました。
粉飾決算も見抜くのが困難であり、問題が露呈した場合、株価が白紙同然となることすらあるリスクです。私たちは監査法人ではないので、企業の売上や資産が実際に存在しているかどうか確かめる術はありません。監査報告書によって財務諸表の信頼性は一定担保されているものの、それでも今日に渡り粉飾決算が横行していることは否定しようのない事実です。実際、不適切な開示を行った企業の数は、ここ10年で見ても増加傾向にあります。
数値引用元:https://www.tsr-net.co.jp/news/analysis/20191204_01.html
③分散投資によってリスクは軽減できる
投資の質を維持できるなら、銘柄は分散すればするほど良いです。
例えば配当利回り5%の銘柄3個に投資するなら、1銘柄が経営破綻したとき、10年待たなければ投資を回収できません。
では、10銘柄に投資していたら?
1銘柄が破綻しても2年待つだけで配当によってほぼ賄うことができます。
それなら20銘柄に投資していたら?
たったの1年待つだけで配当によって破綻分をほぼ賄うことができてしまいます。
このように、分散投資を行うことでリスクは軽減できるのです。
分散投資に対する疑問
ここまで話を聞いて、賢明な投資家の方々はいくつか疑問を抱いたと思います。その疑問に対して多少ではありますが、回答を用意しておきました。
①分散することによるリスク
②バフェットは集中投資をすすめているが
①分散することによるリスク
分散すればするほど沢山銘柄を持つことになるので「外れくじ」を引く確率は上がります。
また、沢山の銘柄に投資しようとすればするほど投資前に行う「下調べの質」も低下する傾向にあるでしょう。
ただ、「もしものとき」を考えるなら絶対に分散投資をおすすめします。
ディフェンシブな投資を行うのは、「確実に儲けたい」からに他なりません。「自分は外れくじを引かない」という運に賭ける投資スタンスは確実に儲けることを目的としたディフェンシブな投資方針とは相容れないものです。
たとえ外れくじを引いたとして他の銘柄でカバーできるように分散することが、ディフェンシブな配当狙いの投資と合致するのです。分散をせず外れくじを引いてしまったとき、ディフェンシブな投資では投資額の回収に非常に長い時間がかかることとなります。
②バフェットは集中投資をすすめているが
配当利回りの投資もバフェットの投資も「ファンダメンタル投資*2」です。ファンダメンタル投資なら少数銘柄投資であるべきだ、と考える方もいるでしょう。
しかし、バフェットの投資は配当だけを狙ったものではありません。
配当利回り重視のディフェンシブな投資の場合、インカムゲインはせいぜい6%程度です。
バフェットの投資対象のROEは、昔は15%程度。現在構築しているポートフォリオでは20%以上の水準となっております。
つまりインカムゲインとキャピタルゲインを合わせて毎年20%近い利益を見込める銘柄に投資しているわけです。だから許容できるリスクも高いのです。
バフェットの真似をするのであれば、高配当利回りかつ高ROE投資をしなければなりませんが、日本の株式は全体的にROEが低いので、日本株で真似をするのはなかなか難しいことでしょう。
「配当狙い」の投資をするなら「分散投資」を心がけよう
「配当狙い」のような堅実ですが少額しか稼げない投資において、分散が不十分だと、減配や無配となったとき投資の回収がほとんど不可能になってしまいます。しっかりと分散して減配や無配になったときのリスクに備えることが大切だと言えます。
ただ、分散しようとするあまり、「将来の利益の減少が確実な企業」に投資してしまうようでは意味がありません。
自分の中でしっかりとした投資基準を持っておき、その基準を満たす範囲内で分散投資をするのが堅実に稼ぐコツだと言えるでしょう。
今週のお題「もしもの備え」
「添加的散漫」という興味深い概念について
はてなのトップページに「添加的散漫」という見慣れないが興味を引くワードが踊っていたので記事を読んでみた。
読んでみたところ、この単語の出所は下の公式サイトのようだ。
以下は上の記事からの引用である
従って、初期のデザインではより多くのカードに「チームメイト」という単語を入れていた。自分とそのチームメイトを助けるような全体エンチャントも作った。その中には、デベロップへと渡ったものもあったはずだ。しかし、プレイテストする人数が増えるにつれて、「添加的散漫」とでも言うべき問題が明らかになったのだ。
説明のために、こんなバニラ・クリーチャーを見てみよう(デザインなので、クリエイティブはまだ見ていない)
〈ステロイドの熊〉
クリーチャー ― 熊
3/4これを周りに見せたら、多分かなりの高評価を得るだろう。このコストでこのパワー/タフネスを持つカードは過去に1枚しか存在せず(『ポータル』の《植物の精霊》だ)、しかも森を生け贄に捧げる必要があった。さて、このカードをこう調整してみよう。
〈ステロイドの変熊〉
クリーチャー ― 熊
あなたがアーティファクトを10個以上コントロールしているなら、[カード名]はトランプルを得る。
3/4これを周りに見せたら、おそらく高評価はぐっと少なくなるに違いない。アーティファクト10個という条件に目を取られて、最終的にこれを入れられるようなデッキは存在しないという結論に到るだろう。
しかし、ここで考えてほしいのは、その追加の行がないカードには興奮したということだ。〈ステロイドの変熊〉は、カードパワーの面から見て〈ステロイドの熊〉の「完全上位互換」なのだ。条件付きでさらに強化される。最低でももとのカードと同じ強さで、非常に稀な場合に、さらに強化されるだけなのだ。
ここで重要なのは、プレイヤーはカードを見たときに感じたことでカードを評価するということだ。カードに「チームメイト」という単語を入れると、プレイヤーがそのカードを評価するときに自分がチームメイトのいるフォーマットをプレイするかどうかで判断してしまうことになるのだ。
添加的散漫を簡単に説明すると
Aに対してBが完全な上位互換であっても、+αの部分が微妙過ぎると、Bの評価は下がり、むしろAの方が評価が高くなるという非合理な判断が発生すると言っているわけである。
添加的散漫を焼肉定食で説明すると
焼肉定食で言えば、
A屋の定食は肉、サラダ、ごはんで1000円
B屋の定食は肉、サラダ、ごはん、デザートで1000円
だとして、
肉、サラダ、ごはんの質が同程度ならほぼデザートの質がどうであろうとB屋の評価が高くなるのが合理的な判断である。
しかし、デザートが萎びたリンゴだったところ、A屋の方が高い評価がついてしまった…と言った感じだろう。
添加的散漫の定義
「添加的散漫」は言うまでもなく「添加的」と「散漫」が組み合わさった言葉だ。
「添加的」…つまり要素が付け加わったことにより、
「散漫」...集中力が欠けてしまい合理的な判断を損なってしまうこと、
が添加的散漫の定義となるだろう。
添加的散漫を言い換えると?
これにぴったり当てはまる言葉はなかなか見当たらない。
日本語で一番近いと思われるのは「蛇足」だが、蛇足は余計なものがついていることを示すだけで、その余計なものがマイナスな場合も含むし、「合理的な判断が損なわれる」とも言い難い。
しかし、この現象自体は既存の2つの心理学的概念を用いることで説明できると考えられる。
①認知的不協和理論
Aという認識とBという認識があり、その2つの認識が本人にとって不協和(矛盾、ストレス)となっている場合、認識自体が変更され、不合理な認識が発生してしまうことを説明できる心理的な概念である。
カードゲームの世界では「リソース(資源)はフルに使ってこそ勝利に繋がる」という考え方がある。これは最善手を切らなければ勝てないという当たり前の意味の他に、「フルに使ってこそ強いカードになるように設計されているはずだ」という、カード製作者への信頼が存在している。
その結果、
A:リソースはフルに使ってこそ勝利に繋がるが、このカードをフルに使うことはほとんど不可能
B:フルに使わなくてもそこそこ強い
という本来の認識がゆがめられ、Bの認識が削除され
C:フルに使えないのだから弱いはずだ
という認識に変更されることにより、このような過小評価が発生すると説明できる。
②非注意性盲目
いわゆる「ひっかけ(ミスディレクション)」である。人の脳のリソースは有限であるため、何かに集中していると、他の何かに対する集中力が欠如する。
添加された効果に注目するあまり、添加効果を発揮していないときの性能に対する意識が散漫になり、過小評価が発生すると説明できる。
添加的散漫は「認知的不協和」と「非注意性盲目」により説明できる
添加的散漫は「認知的不協和」によっておこる認識の歪みと、「非注意性盲目」によって引き起こされる注意力の低下により引き起こされる現象であると説明できる。
添加的散漫は投資の世界でも起こりうるか?
例えば同じような事業をしていて、同じくらいの資源を用いて、同じような利益を出している企業であれば、株価も同じような額になるであろう。
しかし、仮に片方の会社にだけ「遊休資産(事業に使っていない資産)」という+αがあった場合どうなるだろうか?
例えば総資産150憶、負債50憶、利益10憶の企業Aと、総資産200憶、負債50憶、利益10憶の企業Bがあれば、ROEはA社が10%B社は約6.7%となり、収益力はA社のほうが高いこととなる。
だが、B社の資産のうち50億円が遊休資産だった場合、(固定資産税などを考えなければ)B社はA社の上位互換である。
しかし、添加的散漫の効果によりROEを重視する投資家はB社を過小評価する可能性がある。
もちろんPRBを重視する投資家はB社をより評価するのでどちらが株価が上になるかは不明であるが、もし「添加的散漫による歪みだ」と思えるものを見つけられたのなら、絶好の投資チャンスかもしれない。
読んでかっこいいな、自分もこんなブログを書きたいなと思った記事へのリンク
色々ブログを見ていると「これはいいな」と思うデザインやレイアウトが結構ある。
ブラウザのお気に入りに登録するよりは、記事にして「どこが良いと感じたか」書いたほうが後々活用しやすくなると思ったので、まとめてみることにした。
(順次追加)
jp.dreamscope.me・文字は割と細かいのだが太線や段落をうまく使っていて読みやすい。
・おそらく自作と思われる図表も豊富に使っており、補足情報として理解を助けてくれる
・配色も大人しくモダンでシックな感じがかっこよい
kurone43.com・他のブログのHowTo系記事が売る商品から逆算して記事を組み立てているように感じてしまうのに対して、こちらは内容ありきでそれに関連するアフィリエイトが貼ってあるように感じた。
・役に立つかどうか、という観点以外でも続きを読みたいと思える記事
・使われている画像もしっかり本文のイメージを補足するものである
やっぱりトライ&エラーって重要だね。という話
昨日の夜、読書感想文のお題をやってみたわけだが、そこで新しく気づきがあった。
まずこの画像を見て欲しい。
お題に対して投稿すると、はてなブログの方で、お題について書かれた記事の一覧を作ってくれる。その中の私の記事の部分をスクショしたものなのだが…「どうなんだ?」と思う所が何か所かある
何でもいいからアイコンを設定することの重要性
まずブログアイコンが設定されていないのが気になる。
画像では私の記事へのリンクだけ抜き出しているからそれほど感じないかもしれないが、他のブロガーさん達はだいたいしっかり画像を設定しているので、空白アイコンはとてもみすぼらしく感じる。
Twitterでもそうだが、デフォルトの空白アイコンを使っているのは、その人のモチベーションの低さを示しているように思えてしまう。
「この人は本腰を入れてブログをやっていない人だ」と思われても仕方ない。
なんでもいいからアイコンは設定しておくべきだ。
アイコンを見て同じクラスターに所属している人が興味を持ってサイトに飛んできてくれる可能性もあるだろう。
アイキャッチ画像の利用
今回はAmazonからのリンクを使ったのでアイキャッチ画像がついているが、そもそも私は「アイキャッチ画像を設定する」という発想がなかった。
リストとして並べられる以上、画像は絶対にあったほうがいい。
アイキャッチ画像は記事の顔とでもいうべきものだと思う。
また上下の文字が見切れていることも問題であるが、こちらの修正はなかなか難しいようだ。
著作権を自分が所持している画像や著作権フリーの画像ならともかく、Amazonの画像を加工して表示するというのは、著作権的に若干グレーのようだからだ。
表紙が見切れるのは諦めるとして本のタイトルを記事タイトルに入れるのもありだったかもしれない。
「水平思考(ラテラルシンキング)」や「ポール・スローン」というのはそこそこ需要のあるワードだと思われるだけに勿体ない。
また、挿入すべき画像がない記事を書く時のために、カテゴリー毎の汎用アイキャッチを用意しておくのも手かもしれない。
(書評なら本棚の画像、財テクなら札束の画像…といった感じに)
冒頭は改行無しでも読めるようにする
右側に冒頭何行かを表示してくれているが、改行がなくなってしまっているため、かなり読みにくいものとなってしまっている。
、や。と言った句読点を利用したり、:を利用して区切りを表現するなどの方法で、改行が消されたとしても読みやすい文章になるように心がけるのは重要だろう。
冒頭部分の「フック(読み手を引き付ける強烈な要素)」もこのような表示形式ではさらに重要度を増すだろう。
ざっと気になった反省点はこんなところである。
ある程度の品質でブログを書くために、今後もいろいろ試してみようと思う。
本を読んで感じたことを書く意味
今週のお題「読書感想文」
折角なので書く練習としてやってみようと思う。
とは言え、読書感想文か…と思ってしまう。
中学生くらいまでは宿題としてやっていたように思うけれど、何について書いたかはさっぱり覚えていない。
私は本を読んだら必ずその本についてノートを取ることにしているが、それは本の内容を要約したり、気に入ったフレーズを書き留めておく程度のものであり、どちらかといえば備忘録に近いものだ。
ただ、自分の主観ーーそのときに感じたことも書いておくのは案外重要なことかもしれないと、最近思い始めてきた。
例えばついさっき水平思考の本を読んだ。
図解とパズルでわかる難関突破の発想を身につける 水平思考(ラテラルシンキング)で会社を救え! (マジビジPRO)
- 作者:ポール・スローン
- 発売日: 2013/11/01
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
最近ウミガメのスープというゲームに興味があり、そのウミガメのスープは元々水平思考を鍛えるためのものだということで、手に取ってみたのだ。
水平思考ーーラテラル・シンキングとは「論理的段階を踏むより、問題に対する新しい見方を示す思考法」ということなのだが、個人的には眉唾に思えてしょうがない。
例えばフォードが工場での生産現場において「人が車のところまで動くのではなく、車が従業員のところまで動く」という画期的アイディアにより「流れ作業」を生み出したことや、マイケル・カレンが「お客がカウンターにやってきて店員が商品を持ってくる」という当時の小売業の常識を捨てて「お客が商品を選び、店員は会計だけ行う」という現在の「スーパーマーケット」に繋がる新しい発想を生み出せたことなどを水平思考の力だとしているのだが、個人的にはこれは別に水平思考でもなんでもなくて、「より上手に論理的思考ができただけ」に思えてしまうのだ。
フォードのケースの場合は「どうすればより少ない労力で車を生産できるか」という話から論理的に辿っていけるし、マイケル・カレンのケースも「従業員の負担を減らす」という話から論理的に辿っていけると思うのだ。
つまるところポール・スローンは論理的思考を軽視しているように思えて仕方ない。
なので、私はこの本にあまりいい印象を持てなかった。
ただ、水平思考のテクニック自体は面白いと思ったものもある。
前提を疑う。
宇宙人になったつもりで考えてみる。
他の分野の発想を持ち込む…等々。
気に入ったフレーズも2つほどあった
P56
ルールは破られるためにある。スポーツでは審判にペナルティを与えられるかもしれないが、ビジネスにおいては、審判は市場だ。
イノベーションによって価値をもたらした反則者には、ペナルティではなく報酬が与えられるのだ。
なかなかおもしろい言い回しである。
まぁホリエモンのようにビジネスにおいて司法に裁かれたものもいるが。
p74
水平思考ができる人は、アイデアを調べるには試してみるのが一番だと思っている。
彼らは行動を起こそうとする。
85%の準備ができた段階で動くほうが、99%の準備が整い、遅きに失するより賢明だと信じているのだ。
これはフェルミ推定(「日本にいるカラスの数は何羽か?」と言った、捉えどころのない問題に仮説や推測でもって挑んでいく思考法)にも繋がるものだと思う。
精度はとても大切であるが、精度を求めるあまりやらないのは機会の損失に他ならない。
と、ここで水平思考の本についての話は終わりして本題に帰ろう。
こういう風に要約だけではなく自分の感じたことを書けば、後々読み返したとき「あと時は気に入らなかったけど、今となって振り返ってみると納得できる」ということもありうると思う。
そして「気に入らなかった理由」をきちんと書いておけば、「なぜその変化が起きたのか」を説明できる。
自らの変化を説明できるということは、自己管理やセルフコーチングにおいてとても重要なことなのではないか…などと思い、最近は本を読んだら自分の「読書感想」を付しておくようにしているのだ。
そう考えると小学校中学校でやった「読書感想文」というなんとも言い難い宿題も、感じたことを言葉にするという、言語化の貴重な訓練の場だったのかもしれない。
質の高いブログ記事とはどういうものだろうか:目的がHow to(どうやってやるか)の場合
質の高いブログ記事というのはどういうものだろうか。
あえて検索等を行わずに、自分の考える「質の高いブログの書き方」を考えてみる
目的を明確にする
ブログ記事と言っても様々なものがある。
まず題材に多様性がある。モノや本などを扱うブログもあれば、政治や経済を扱うブログもあるし、単純にその日の出来事を扱うこともある。
そして題材が同じであったとしても――例えば政治についての記事であるとしても、政治についてわかりやすく解説するブログもあれば、特定の政権を応援や批判するためのブログもあるし、単純に政治に対して感じていることを発信するブログもある。
同じ「政治」という題材でも記事によって目的は様々だ。
ここで重要なのは書き手が記事の目的をしっかり認識しており、その目的達成のためにブログが書かれいてることだ。
ふんわりとしたブログでは読者にふんわりとした印象しかもってもらえない。
その目的に合った構成を考える:目的が「How to(どうやってやるか)」の場合
情報は簡潔かつ丁寧に
例えば、目的が「はてなブログで文字数をカウントしたい人にやり方を教えたい」なら↓の画像を貼れば済む。
サイトのボリュームを気にするならテキストエディタのカウント機能を使う方法などを併記することもあるだろうが、はてなブログのユーザーのみをターゲットにする場合、それは蛇足に近いのではないかと思う。
「かんたん文字数カウント」などのプラグインを利用して編集画面以外からも文字数チェックできるようにする方法は書き加えていいだろう。有効な選択肢であれば多いほど記事の質は高まると思われる。
HOW TO記事において重要なのは、読んだ人が実際にやれるようになるかどうかだ。そのために失敗しやすい点を注意項目として表示しておくという配慮や、画像を豊富に利用してわかりやすく伝える努力が重要になってくるだろう。
ものによっては鮮度が命
ネット上の情報やPCに関する情報を扱う場合には、情報の鮮度も重要になるだろう。WindowsにしてもWord、Excelといったアプリケーションにしてもバージョンによってできることはそこまで変わらないが、レイアウトはかなり頻繁に変更されている。最新のものに対応できなくなった時点で、新しい記事に作り直すことが重要であると考えられる。
(古い記事も削除せずに新しい記事へ誘導リンクを貼ったうえで残しておけば、古いバージョンを使っているユーザーの助けになるだろう)
その意味で、How to記事を書く場合は、書いた項目が使えなくなる条件(ソフトの更新など)を事前に把握しておいて、リスト化しておくのが良いかもしれない
逆にDIYなどの情報であれば更新はほぼ必要ないだろう。
より視覚に訴える情報を
また、画像だけではなく動画(アニメーション)を併用するという手もある。
文字情報<画像情報<動画情報という順に、直感的なわかりやすさは増していくため、多少面倒でも文字情報以外を用いた方がよいだろう。
SEOを考えるならたくさんのHow toに対応できる記事を
個人的にはシンプルisベストだと思っているので、1つのやり方が示しているサイトの方が好みではあるが、沢山のHow toに答えているサイトの方が当然、沢山の人にとって需要のある記事となる。その結果「検索結果上位」に表示されやすくなるとも考えられる。
とはいえ、記事にまとめるHow toの関連性には気を配るべきだろう。関連性の低いものを集めたのでは取っ散らかった印章を与えてしまう。